Reikaの徒然草(改)

つれづれなるままに…ヅカ感想メインのブログ。ヅカ以外のことも語るよ。

大野様を愛していない天然小悪魔吉村貫一郎さんー壬生義士伝新人公演感想ー

みなさまお久しぶりです。
リアルが忙しく、ブログ止まってました。

宝塚が無事再開となりまして、
生観劇
・眩耀の谷/Ray
ライビュ
はいからさんが通る(宝塚千秋楽)
・眩耀の谷/Ray(東京千秋楽)
・NOW ZOOM ME!(東京千秋楽A ver.)
配信
・FLYING SAPA
・真彩希帆 1DAY LIVE
・NOW ZOOM ME!(宝塚B ver.)
を観ました。外部も
生観劇
・ボーイズ・イン・ザ・バンド
配信
・SHOW-ISMS
・帝劇コン(A・B日程)
・信長の犬
を観てます(演劇界戻り始めてから結構観てるな、我ながら)。

で、生で観に行ったものについては現状ブログでまで感想を書きたいな、と思うレベルの作品が、SAPAぐらい(一応基本的に観に行っているときに大体どの作品もTwitterでもつぶやいているし)かつ、そのSAPAの記憶がポルンカの人々に消されたため、下手すると自分の妄想・空想と、実際の公演とゴチャ混ぜて変な感想を書きそうなので(←)、ブルーレイを買って確認してから書きますww

で、スカステで最近新公を観るのにハマってまして。
スターの成長度合いとか、若いスター発掘、とかもなんですけど、スター力が未熟な若手さんたちが演じているので、その作品の本質が見えてくるんですよね。
本公演ではこのランクの人が演じているから真ん中よりに思う役だけど、実は作品に特に必要ない役だよね、とか、実は主役こっちなんじゃないか、とか。
あるいは逆に脇役さんの役なんだけど、妙に巧かったりスター性・主役力があって、本来のメインの役ほっぽりだしてこっちがメインに見えてくる、とか。
あとは、本公演は本役さんのスター力で緩和されるけど、新公だと毒が強烈に表に出てくるとか(それは主にくーみんww)。本公演では納得できなかったことが逆に新公だと若さの勢いで乗り切れちゃったりw
そうやって作品の本質だったり、スターとしての力量が残酷にも見えてきちゃったり、と。
そういった意味でも新公って面白いですよね。

で、いくつかの公演の感想を書きたくて、第1弾として公演以来放送を楽しみにしていた「壬生義士伝」の新人公演を。
ちなみに今後
・異人たちのルネサンス(これは本公演もずっと語りたいと思ってる…)
・神々の土地(これもまぁ本公演語りたいかな…だいぶん前だけどな)
・星逢一夜
るろうに剣心(これはほぼひとことみちるの感想のみかもww)
・グランドホテル(主にれんこんの話w)
あたりを語りたいなーと思ってますが、変わるかもですwいい加減な人間なので。

前置きはこのくらいにして、「壬生義士伝」の新公のお話を。
物語、各々のキャラクターへの感想は本公演時に語りましたので、新公のキャスト感想と萌え滾った部分をww
(ここから一部腐寄りの感想が入ってきます。苦手な方はいつもの如くブラウザバックお願いいたします。)

本公演時のイメージとしてはもっぱら次郎右衛門×貫一郎の純愛だったんですよね(笑)でそこにはじめくん⇒(強火)貫一郎みたいな(笑)。で、総司×はじめは夫婦愛のような、依存関係のような(笑)。まぁ、あちらこちらに萌え散らかすための要素が転がりまくってて、そんな中でも私は大野様と吉村さんの長い歳月、揺るぎようのない愛ある関係が大好きだったんですが、

なんで新公の吉村さんはあんなに大野様を愛してないの?(笑)
(誤解を招きます。あと本公演も吉村さんが愛しているのはしづさんであり、家族です(笑))

まぁ顕著なのはやっぱり切腹の場面ですかね。
ある意味、本公演のほうが大野様の吉村さんに対する態度は厳しいのですよ。
咲奈の大野様は完璧な武士の男なので、吉村さんの前でですら剃刀次郎右衛の仮面を取らないでいることができるんです。
だからこそおにぎりを作る場面とか、吉村さんが切腹したあとの場面とかで、思わず本音を、愛を(笑)、漏らす場面がたまらなく萌えるんですよね〜。

で、それに比べるとすわっちの大野様のほうが素直というか優しいというか(笑)。お人払いをしたあとのすわっち大野様は目に見えてあみちゃん吉村さんに慈愛の眼差しを向けるというのに、あみちゃん吉村さんときたら

凄まじく恨みがましく、卑屈な眼差しをすわっち大野様に向けますからね(笑)。

それ以降吉村さんには大野様がどんなに優しく語りかけても響いてません(笑)。心の扉をパタパタっと閉めてしまっていますからね。だから、新公は切腹に至るまでの流れがほんとに辛い。切ない。そして萌える(笑)(←)。

本公演の吉村さんと大野様は、たとえ表面では冷たくしていても、心で通じ合えているから、吉村さんも大野様の本心とか、苦労がわかっているのよね。だからこそ部屋に運ばれた火鉢やおむすびの心遣い、優しさに感謝で泣くのよ。
でも新公の吉村さんと大野様はこころがすれ違いまくっている、というか大野様の一方通行だもんで、吉村さんはひたすら自分のうちに閉じこもりまくって状況を嘆くんですね。んで、最後そっと届けられたおむすびを見て新公の吉村さんは腰を抜かすんですね。そこで初めて吉村さんは大野様の愛の深さ、慈愛を思い知らされるんですね。自分が大野様に投げかけた言葉の刃の強さ、罪深さを思い知らされ、もう取り戻す事ができない、詫びることさえかなわない、その後悔で吉村さんは涙するんですね。もうその切なさったらないですよ、萌えますよ(笑)。

や〜なんだろ、あのあみちゃんのすわっちの愛してなさ加減、すわっちの片想いさ加減ww(役名で言いましょう、誤解を受けます。)
というか、あみちゃん吉村さんの闇の深さがすごいと思います。なんなんだろうね、あの研4(当時)。
あみちゃんの吉村さんが誰も愛してない、というわけじゃなくて、ちゃんとしづと家族のことは愛してます。というか、愛しているからこそ修羅の道に堕ちて行く感じがする。同じ人斬りの道に堕ちても、だいもんの吉村さんは人の心は失ってないし、人斬りは人斬り、普段の生活は普段の生活、って区切りがちゃんとできている感じがするけど、あみちゃんの吉村さんは人斬り、死神として、畜生道の闇に堕ちている感じがする。本公演でその位置にいたのがひとこの総司だったんだけど、新公の眞ノ宮くんはふつーに可愛い、いい子な総司だったので、その闇を全部あみちゃんが背負ってしまった感じww。
その闇に堕ちてしまったがために、周りの人間がみんなあみちゃん吉村さんに惹きつけられ、振り回されているような…w。もちろん一番振り回されている哀れな被害者はすわっち大野様(笑)。そんな小悪魔っけを無自覚で持ち合わせる恐ろしきあみちゃん吉村さんでございました。

んでそんなあみちゃんの奥様、我らがみちる。
これを観ると、ほんといよいよみちるを真ん中に据えない理由がわからなくなってくるんですよねー。南部小町と言われた、年若いしづの可憐さ、家族のために自分の命をも捨てようとする母としての芯の強さ、涙を誘う佇まい、みよの、ワガママさえも愛くるしく見える生きる力の強さ、吉村さんを案ずる様子を押し隠すいじらしさ、吉村さんの目に自分が映っていないことの惨めさの表現の巧さ(ここのあみちゃん、マジ怖いです(笑)心がそこになくて、南部の我が家、南部にいるしづを求め、みよを腕に抱いているんですよねー…)、どんな役回りの役でもちゃんとヒロインとして真ん中に引き寄せる力を持ってるんですよ?これをヒロイン力、真ん中力とせずに、何を以てトップ娘を決めるのか、という感じですよ、もう〜。
この新公、みんな好きだし、素晴らしかったけど、まず間違いなくMVPでした、みちる。や、贔屓目なしでね。

この作品において大いに重要な人物、大野次郎右衛門様。演ずるはダンディ渋オジ様演じさせたら天下一品のすわっち。こちらは咲奈を超える武骨で、生きるのに不器用なオジ様。咲奈の大野様は仕事は仕事で冷徹に如才なくこなしそうだけど、すわっちの大野様は剃刀次郎右衛になりきれていないんだろうな、実は(笑)という感じがする(笑)。「おめがいねぇとやってけないんだよ」っていうのが、咲奈なら「だいじょーぶ、あなたは強いからやれるよ」ってなるんだけど、すわっちのは「そうだろーね」っていう気がしてしまう(笑)。咲奈とだいもんの大野様と吉村さんはやっぱり相思相愛強い信頼関係で結ばれているから、離れていても大丈夫、って安心感をこっちが持てるんだろうけど、すわっちとあみちゃんの大野様と吉村さんだと、感情の重さのバランスが取れてなくて、そこが不安になる、ってのもあるかも(笑)(二人が仲悪い、とかそういうことを言ってるわけじゃないですよ(笑)。役作り的な話)
ここまで行くと演者の役作り的な問題だけじゃなくて、演出の町田先生の好みの問題かもしれん…(町田先生、PR×PRinceじゃあ、ほのぼのBL作品作ったくせにこれはなかなかの闇展開ですぞww)

思ったより長くなってしまったので、例によって例のごとく2つに分けます(笑)。