Reikaの徒然草(改)

つれづれなるままに…ヅカ感想メインのブログ。ヅカ以外のことも語るよ。

役者の年齢が近いことに初めて感謝しましたー凱旋門 新人公演感想ー

や~、世のヅカファンはみりおの退団とだいもんコンの話題で持ち切りだというのに、今日も元気に世の流れと逆行した感想を書き散らかしていきます(笑)
(だいもん×よしおちゃんとか、だいもん×ラミンとか、チケット取れる気がしないよね。あと、私は普通にまあやちゃんが出ている回で観たい、と思ったら東京楽なのね…。)
(できれば一般ミュオタは遠慮しt)
(黒い私をお許しください)
(あと、サイトーなのね、そうなのね…。)
フィギュアのことも書き散らかすブログ、って言っているのに、ファン歴史上多分一番って言っていいくらいGPシリーズ観てないし、何も触れてない(-_-;)
別にヅカの方も忙しいわけじゃなくて、前半戦に力を使いすぎて後半戦温存気味に生きているのに、なぜか忙しい。こうなると来年どうなるんだろうね。
(あ、私11/25を持ちまして5年ぶりくらいに宝塚全組観劇復活します。多分分かる人には理由が分かる(笑)チケット取れればの話だけどねww)

そんなこんなですが、ゆるーく凱旋門の新人公演の感想を書きたいと思います。
え、なんで凱旋門の新人公演をいまさら?この間やっていたから見たのよ(ゆるーい笑い)

これほどに役者同士の年齢が近いことに感謝をしたことはなかなかありませんでした。

これから先書くことはあくまでも主観です。また、私は悠様ファンで、だいもんが好きで、まあやちゃんが好きで、雪組ファンでもあります。
そんな私から見て、1年以上たった今でも「凱旋門」の再演には少々疑問を感じています。
1年前生で観ていて、確かにところどころ美しいシーンがあり、訴えかけるテーマも素晴らしいけれど、「これが初演当時文化庁芸術祭賞なるものを取った作品なの?」というのが正直な感想でした。
その後、初演当時あの作品を観ていて、すごくあの作品が好きだった人のブログを読んだり、スカステでの放送を流し見して、どうやら初演と今回は違うようだぞ、と(ちなみにサブ再演ともいえる博多座バージョンとも微妙に違うらしい)分かり、初演版を生で観てみたかった、とちょっとモヤモヤが溜まり、その改変の要因がどうも悠様のご降臨にありそうだぞ、というのが分かってきてまたモヤモヤが溜まり、「夢現無双」を観た時のように、怒り狂いはしなかったけれどもwなーんかスッキリしないなーと思うところがあったわけでございます。

で、今回の新公主演の縣千ちゃんは、目下新公圏内の学年の子たちの中では大注目株でございますので、いそいそとスカステの放送を見たわけです。ボリスのあや君も好きですしね。

確かに新公ならではの拙さは要所要所には見られました。千ちゃんの歌に関しては何度か手に汗握るところがあったし、潤花ちゃんの歌に関してはひっくり返りそうな個所もかなりあったけれどもw

それでも途中からこのドラマに見入ってしまっていました。

もちろん、「なんでそんなセリフなんだ」って思うところは多いし、「どうしてそんな展開?」って思うところも多いし、ジョアンは嫌いだし、ラヴィックはもっと嫌いだ(え)、という状態なんですけれども

それでも物語に息づくリアルなドラマにいつの間にか引き込まれてしまっていました。
新公ならではの盛り上がりもあったでしょうし、演出がくーみんで、本公演と微妙にドラマの流れ方が違う、というのももちろんあったでしょうけれど、それでも、特に主要3人なんかは本公演キャストの方が役者としてのスキルは数段上なわけで(当然だ、本公演キャストが歌唱力とかダンススキルとか一部分だけならまだしも、役者としてのスキルでぺーぺーの学年の子に負けてたまるか)、それにもかかわらず本公演よりも物語が「動いてる」と感じたのはなぜか。

演者同士の年齢が近いからだ。

それに気づいたとたん、思わずスッと引いてしまいました。
そりゃ役者なんだから相手役といくつ年が離れていようが、その差を芝居で埋めるのが役者だろう、っていうのが私のポリシーではあります(この場合の相手役は男女に限らず友人とかでもね)。すみ花ちゃんがいい例で、10年以上の学年差をあの演技力で埋めていたわけです。
で、今回の本公演だって、だいもんとまあやちゃんはその差を埋めるべく奮闘していたし、悠様だってカンパニーとのバランスを崩さぬよう、数少ない初演を経験した生き証人としてもなんとか居方に苦心している様は感じました。
でもどうしても埋まらないんです。その差が。

悠様の老いによって。

ジェンヌはフェアリー、年齢はない、といったって加齢は普通に表に出てきます。
そして悠様がいくらあのアンドロイド的なw美貌をキープしていたとしても、声のハリや長期間の公演を主役としてこなしきる体力などに間違いなくその加齢は出てきます。
例えば一番直近のトップスターがいる公演への降臨である「長崎しぐれ坂」や、大劇場への降臨である「The lost glory」などは専科に行ってからの作品なので、リアルタイムの悠様の音域・体力諸々に合わせて作られているので(「長崎しぐれ坂」は専科でも若い頃だけどね)、悠様の老いというものがそれほど感じられることなく公演を観ることができた。

だけど今回に関しては、若く、脂が乗っていた頃の自分が比較対象としてついて回るわけで。
おまけに横には、もろ若い頃の自分のように乗りに乗っている年次の現役トップコンビがフルエンジンで臨んでいるわけで(だいきほに手を抜けと言っているわけではない。むしろそれはプロとして失礼に当たることだと思う)。
だから観ている側としては物語に入り込もうとしても、どうしてもそっちの現実の方が先に気になってきてしまう。そういった部分も振り切って、じゃあ物語に没入しようか、と思うと、今回の降臨に合わせて変更された物語のいびつな部分とかが気になってしまって結局物語に入り込めない。

多少物語が微妙な部分があったっていいんです。宝塚に限らず、ミュージカルで文学賞そこのけな作品なんて早々作れませんから。でもそんな中でもキャラとかシチュエーションとか音楽とか、何でもいいんですけれど萌えることができたら(腐った意味だけじゃなくてww)、それで充分だと思うんですけれど、今回の凱旋門に関しては初演時に良かった、と思われる部分が大部分(流し見しかしていないので憶測でしかものを語れないのが悔しい。今度ちゃんと見よう。)降臨のために削られ、歪められ、しているのでそこが引っかかってどうしても楽しむことができなかった。

それに対し新公に関しては、技術的にはつたないけれども、全体クオリティとしては目をそむけたくなるほどではないのはさすが雪組、という感じだし、物語はいびつになってしまっているけれども、いびつなりにするすると流れていく。
悠様の役をやる千ちゃんは素直に新公の主演で、まあやちゃんの役をやる潤花ちゃんはヒロイン、だいもんの役をやる綾くんは2番手、とキャラクターの立ち位置もスムーズに戻る。トップであるだいもんに気を使った場面はそのままなので(だいもんへの気の使い方ももう少し違うものにしてほしかった。1曲心情を歌うような曲を追加するだけでもよかったんだよ、某植爺みたいなセリフ量だけで役の軽重を測るような真似をしないでさ)、そこらへん少し微妙だけれど、その辺もあまり気にならずにみられる。

普段だったら学年差・年齢差なんて役者なんだから乗り越えないでどうする、って思うんだけれど、今回に関しては本当に役者同士の年齢が近いことがこんなにも物語の流れがスムーズになる、いびつな部分を飲み込むことができる、っていうのを実感しました。

新公感想書くつもりだったのに本公演の愚痴メインになってしまった…。役者の感想は次に。