Reikaの徒然草(改)

つれづれなるままに…ヅカ感想メインのブログ。ヅカ以外のことも語るよ。

自らの不幸を恨み憐れむ人間たちへの希望の讃歌ーfff 歓喜に歌え! 感想ー

やー、今日はまた人事が動きましたね。
正直あきらはどこかのタイミングで退団だとは思っておりましたが、トップ娘の退団のタイミングとは…。物販などの扱いとしては既に2番手扱いだけれど、大羽根を大劇場で背負っていなかったことが劇団の腰を軽くしたというか。
やっぱり2番手羽根を背負わせるか否かの決断って結構重いよな…。物販とかの扱いが2番手であってもやっぱり2番手羽根を背負っているか否かがファンにとっての印象とか、世間様への印象とかが違うよな。(だから2番手羽根を背負わせるスターはほんとに慎重に選んでくれ。美弥ちゃんのときみたいに労いの意を込めてならまだしも、2番手、ひいてはトップスターになるような器じゃない人には2番手羽根を背負わせないで…1回背負わせると、今の某スターさんみたいに扱いが困ることになるんだよ〜)
 
とまぁ、花人事で荒れている状態ではございますが、もういい加減fffとシルクロード(そしてだいもんサヨナラショー!!)の感想を書かないとあれよあれよと言う間に公演終わっちゃいそうなので(笑)、書いちゃいます。
ちなみに既に宝塚で2回、生で観劇していて(そのうち1回が完全なるあがた席だったため、ショー冒頭であがたに撃ち落とされて使い物にならなくなったのは別の話)、あとムラ千秋楽の配信を観ています。
実を言うと1回目の遠征は一都三県に緊急事態宣言が再度出て間もなくで、その後すぐ関西ほかのエリアも緊急事態宣言出てすぐに2回目の遠征となったので、とりあえず感想書かないで、配信のみ観た体で感想書いちゃおうかなぁ、とも思ったのですが、その後他にも遠征されている方がいらっしゃったことに勇気づけられ、何より責められることをしているわけじゃない、と思ったので、今も文字通り命懸けで公演を続行し、劇場に灯りを点し続けてくれているタカラジェンヌたちに敬意を表して生で観た感想を書こうと思います。
(ほんとは感想に先立ち、今回の遠征についての所感も書こうと思ってたんですけど、いよいよ長くなりそうだし、めんどくさくなったので← 書くのやめました。)
 
前置きが長くなりましたが、もともとこの公演、ただでさえ現在推しに推してるくーみん&生田くんの取り合わせだったんで、だいもん・まあやちゃんの退団どうこうがなくってもとにかく観たくてしょうがない公演でした。それが退団公演ということになり、ますますのチケ難公演となって遠征してきました。
特にfffについてはベートーヴェンを主役に据えた作品、ということで、「翼ある人々」ですべての音楽の理想として描かれたベートーヴェン、あらゆる天才音楽家たちの高い壁として立ち塞がる存在として描かれたベートーヴェン、ということで、いざそのベートーヴェンをくーみんが主役として描くとどうなるのか、非常に興味がありました。ちなみに初回前日に翼ある人々の復習もしました(笑)。
 
全然翼ある人々のつの字もない感じでした(笑)。
 
や、もともと2番手の咲奈の役がナポレオン、って時点で何かがおかしかったんだ(笑)。ふつーベートーヴェンのドラマを描くなら、ヴェーゲラー、ブレンターノ氏(ベートーヴェンが書いたとされるラブレターの相手「不滅の恋人」の最大の候補とされる女性の夫)あたりが宝塚ならベタなのに、ベートーヴェンの現実の人生には一掠りもしない(しかも憧れ⇒失望、憎しみにシフトした)人物を2番手に割り振ってくるあたり、なんか企んでるな、とは思いましたよ。
おまけにトート的な女がヒロイン。まぁもうこれでベートーヴェンの人生の一部分をドラマ化した、というよりは壮大な心理劇が展開されるんだろうな、と予測はしたのですが。
 
初回観劇時ではゲーテのナポレオン訪問のシーンとか、メッテルニヒによる大粛清のシーンとか、ルイの夢のシーンでのナポレオンとの語り合いでの怒涛の上田久美子政治理論&哲学のほうが強烈で、ベートーヴェンの物語二の次やないか(や、そういうとこすっきやで、くみこ😍 (笑))、で、そうこうしているうちに謎の女でまた絶望にドーンと突き落とされた後、ラスト怒涛の第九で泣かされる、終了!ってなり、「何を見せられたんだろう…?あぁ、でもまたあの感覚もう一度味わいたい…!」ってなって禁断症状(←)が起きる、っていうどこかで見たことある現象「BADDYロス現象」が起きたんですけど(笑)(っていうかそもそも、オープニングのアレはズルい。泣いちゃうw。生オケ上演ができない現在において、最大級のオーケストラへの賛辞だし、オケピの寂しさを上手くごまかしてると思う。くみこぉぉぉっ!って全速力でくーみんのところに行って、全力で握手したくなる(全力の迷惑))。
 
2回めの観劇時は(音楽家トリオに気を取られがちになったにせよ(笑))、とにかくベートーヴェンの絶望と孤独感が痛くて堪らなかった。痛くて辛くて、でもまあやちゃんとの物語がどこまでも壮大なラブストーリーだなぁと思うようになり。そして3回目の配信時に、あ、ヤバい、これはベートーヴェンの物語を通り越して、観ている私達に突きつけられた強烈な絶望と希望の刃だわ、と落ち着きました。
(ここから一部ネタバレします。)
 
 
 
私達人間は、人生を生きていく中で、そこそこ幸せな時間もあるけれど、ルイの妄想の中のナポレオンが言うように、苦しみ続けている時間のほうが長いんだと思います。その苦しみ続けることこそが生きている、ということなのだと。
ルイも失聴し、結婚もできず(現代以上に独身の人間は奇異の目で見られる時代)、天才音楽家としての地位もいっぺんに地に墜ちた、まさに不幸のどん底状態のところに更に追い打ちをかけるように彼にとっての母性・ロールヘンの急死の報せ…。自分は不幸、哀れ、ということでルイは自分の境遇を恨み、憐れんでいたわけで。
だけど、そんな不幸の極地のルイを、ルイの妄想のナポレオンは一笑に付す。そんなものは人間生きていればみんなそんなもんだと。人生とは苦しむものなのだと、絶望の極みみたいなセリフを投げかけてくるわけで(笑)。もうこのシーンだけで、「もうヤダ、生きていたくない」ってなりそうな観客が出てきそうなんですが(笑)。それでもひょんなことからルイと彼の妄想のナポレオンは互いの共通点を見出し、更には国造りと作曲、という一見すれば共通点のなさそうなものから芸術的な要素を見出して、苦しむもの、でしかなかった「生きる」ということに希望の光が見えてくる(このシーンの美しさがまた格別です。このシーンのために基本全体の照明を落としているのか、と思うくらい)。
ここで終われば正塚おじさんが書くような物語なのですが(笑)、そうは問屋が卸さないのが上田久美子(笑)。一度希望を掴みかけたルイと観客を、「ナポレオンの命」を撃ち落とすことで、さらなる絶望へ叩き落とす(笑)。
 
希望を掴みかけたルイの前でナポレオンは死に、再び己の不幸をどう処理したらいいかわからなくなっているルイの前についに現れ、正体を明かす謎の女ー人々みんなに訪れる「不幸」、その自らの不幸を恨み、不幸に陥った自分を憐れむ「もう一人の自分」ー。どこまでもその不幸を恨むことで、今のこの絶望、不幸せな環境は自分のせいではない、と思いたい人間のエゴ、そしてもう一人の自分が不幸に陥った自分を憐れんでくれるからなんとか人間はそれでも生きていける(自分を憐れむことができないとどこまでも不幸に沈んで、この世界からサヨナラしてしまうのかもしれない)、それもまた人間の身勝手なエゴ、でもそれくらい人間は弱くてちっぽけで。
 
ある意味ものすごく普遍的なテーマで、それこそ外部の演劇だったらn十回と取り上げられている内容かもしれない。だけど、このタイミングで、大衆エンタメたる宝塚で、このテーマをやることに意味があり、くーみんの勇気があるのかもしれない。みんな大なり小なりこのコロナ禍できっとほとんどの人が不幸になっていて、でもみんなが不幸だからことさらに自分は不幸です!なんて周りに宣言することも憚られて。原因は自然災害的なものだから、コロナウィルスを恨んだところで、コロナウィルスがみんなの恨みのパワーでやられるわけでもなくて。
結局みんな今のこの「不幸」という状況を恨み、その状況下にいる自分を憐れむしかなくって。きっとみんな自分の中に「謎の女」を抱えているんだと思う。その「謎の女」とうまく折り合いをつけながら、折り合いをつけられなかった人はみずから安らぎを求めて逝ってしまうのだと思う。
だけど「不幸」から生み出されるものも多くあって(特に芸術は不幸があってなんぼな世界ですよ、因果なことに…)。たぶんくーみんはインタビューとか読む限り「謎の女」みたいな存在があってこそ「生きてる」って実感を感じている人なんだと思う(厄介な人だ(笑))。「不幸」とか「病気」がない世界の住人は人間的な感情を失う、というのは1000年以上も昔に、日本の最古典でも描かれてますからね、「竹取物語」に(笑)。
ルイはすべてを理解した上で、丸っと「謎の女」を受け入れた。「不幸」というもの、「不幸」を恨んだ自分、「不幸な自分」を憐れむもう一人の自分、そうしなければ生きてこられなかった、そうやって歴史を紡いできたちっぽけな人間という存在…。すべてを「謎の女」として受け入れ、彼女に「運命」という新しい名を与え、愛することにした(ル・サンクのラストのまあやちゃんの役名見てください!ここでは言いませんが、号泣物ですよ(笑))。そうすることによって生まれた歓喜の歌、希望の芸術。くーみんが描きたかったもの、ベートーヴェンと第九を借りて、いま、自分の不幸に苦しむ人々への希望の讃歌、これこそが「fff 歓喜に歌え!」という作品の持つ全てなのではないでしょうか。
 
ベートーヴェンの伝記ではない、人生を彩った女性たちとのメロドラマでもない、音楽・芸術理論劇でもない(翼ある人々はこっち寄り)、政治・社会批判はちょっとあるかなー(笑)、だけどそんなものを超越したもっと概念的な心理劇であり、何よりどこか人間というものを愛したい、人間へエールを贈りたい、そんなくーみんのちょっと素直じゃない(笑)、人間たちへのメッセージなのかな、と。
 
ほとんどストーリー後半の話になってしまったので、前半や各々のキャラや萌え、キャスト感想はその2に。
 

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